本当はもっと衝撃的な『魔法少女まどか☆マギカ』論 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その3 円環の理になったということ

 まどかは母親に過大評価され、放任されている、そして子供の狭い視野で書かれているのが、『魔法少女まどか☆マギカ』のメイントリックだというところまでが前回。

 

 そんなまどかも、奇跡や魔法の異常性や、さやかが魔女になったこと、説得に行ったが結局は無駄で、さやかと杏子の死に立ち会ったこと、などいろんなものを見て、成長してはいる。

 

具体的には、

 

 さやかの死について何も知らないと母親に嘘をつくようになった。

 

 避難所から無断で抜け出そうとしてひっぱたかれるようになった。

 

成長してはいる。年齢相応、中学二年生の思春期の少女に。

 

 その成長を、まどかの母も感じ取ってはいる。そして過大評価を進めてしまった。

 

 親が子供を嵐の中に送り出すのに、一人前になったと判断した以外の理由もないだろう。

 「理由が言えないなら自分も連れて行け」と決して無責任なわけではないが、

 同じ建物の中にいる旦那さん一切の相談をせずに、まどかを送り出してしまった。

 

 まどかが魔法少女になるとき、巴マミの部屋でマミと杏子に会い、そこにおいてきた、自分で書いた、魔法少女のデザインを書いたノートを受け取っている。

 

 しばらく前に書いたノートを、死んだ人間から受け取って魔法少女になるというのも、これだって成長を示す表現である。

 だが問題は、ノートの中身だ。

 

 第二話に大きく描かれているのそれを見るのが解りやすいだろう。

 

 中学生が書いた絵ではなく、小学生が書いた絵に見える。

 

 つまり、キャラクターデザインが子供っぽい、という叙述トリックで解りにくくしているが、

 このデザインを書いた時点のまどかは、小学生位の感覚の子供で、

 成長したにはしたが、それは小学生が中学生になった成長で、

 中学生がそこから先に成長したのではありませんよ。

 と製作者が答え合わせをしているように見える。

 

 まどかが事故で円環の理になったのは、そのくらい計算づくで書いていることだと思う。

 

 そしてまどかは魔法少女になった。まどかが魔法少女になって放つ光は、Zガンダムの異常稼働と同様、人の心を犠牲にした暴走の光でもあるだろう。

 

 まどかは円環の理になった。子供の視点で書いているので感動的にも見えるが、すべての魔法少女を救える代わりに、死ぬことすらできなくなった。

 

 まどかの母はまどかの記憶すら失って、子供を失ったことを教訓にするどころか、悲しむことも後悔することもできなくなってしまった。

 

 鹿目まどかの物語は、子供が子供の感覚のまま人間を止めに行くのを、実の母親が背中を押して送り出してしまったとんでもない大事故であると同時に。

 子供を失った親が、そのことを自覚し記憶することすらできなかった物語である。

 

 美樹さやかの物語を、残酷な成長と死を描いたものだと言ったが、

 

 鹿目まどかの物語は、親子揃って成長と縁が切れた物語である。

 

 この問題の軸になっているのは、インキュベーターが原因であるにせよ、まどかの母を無視するわけにも行くまい。

 

 まどかの母がどんな人物か、次回にまとめて書く。

 

 続く

 

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