『機動戦士Zガンダム』考察 ガンダムシリーズの歴史 その5 『機動戦士ガンダム』の否定 *ネタバレ注意
*ネタバレ注意
さて、『機動戦士ガンダム』は、第二次世界大戦のオマージュである。
ただそれだけではなく、連邦とジオン、両方の正義を描いている。
これに異論を唱える人は、いないだろう。
大したことではない、と思うかも知れない、
だが、第二次世界大戦の正当化と取ろうと思えば、いくらでも出来る。
第二次大戦がモチーフになっている事がわかるならいい。
問題はそれが解らずに、『初代』に熱狂することである。
第二次大戦のオマージュだとも解らず、『初代』に熱狂し、熱く語り合ったり、ニュータイプについて議論したり、モビルスーツやその戦闘に夢中になっているファンは、
無自覚的にファシズムや軍国主義に熱狂しているのとあまり変わらない。
控えめに言ったとしても、ファシズムや軍国主義に、親和性の高い行動だと思う。
少なくとも筆者にはそう見える。
そして、『機動戦士ガンダム』のメインクリエイター、富野由悠季にもそう見えたのではないかと想像する。
ロボットアニメの可能性を追求しようとして、『機動戦士ガンダム』を作って大ヒットさせたところ、気がついてみれば『ガンダム』の熱狂的なファンはそんなふうだったのではないだろうか。
私は80年代生まれなので、『初代』が社会現象になった当時のことを見たわけではないのだが、そんな感じだったのではなかったと想像している。
(当時を知っている方がいれば、コメントしていただきたい。)
『初代』でも、戦争を残酷で、悲惨なものに描こうとはしている。
だが、ミリタリックで、マニアックすぎるというか、
カルト的で、カッコよく書きすぎて、それができていないように見える。
(一つ、二つ、と数えながらリックドムを破壊していくアムロを見れば解ると思う。)
ニュータイプという画期的な概念も、ファンの想像力を喚起させ、作品に対して思いを巡らせることになっている反面、
戦争に対して、心の痛みを感じにくくしてしまった、負の側面を持っていると思う。
『機動戦士ガンダム』は気がついてみれば、戦争、特に第二次世界大戦をカッコよく描きすぎた、危険な作品になったのだと思う。(21世気に入ってから、アルカイダ賛美と言われるようになった『0083』でさえ、初代よりマシだと思う。)
これはアニメ史上、最悪の間違いだったと思う。
一年戦争で戦っていた世代の感覚を狂ったものとして描き、その犠牲者として、象徴的にカミーユを狂わせ。
戦争は残酷で悲惨なものだというテーマを、徹底的に作品に込め、
初代『機動戦士ガンダム』の危険性をメインクリエイター自らが封印しようとした作品だと筆者は推察する。
砕けた言い方をしてしまえば、初代『ガンダム』に危険な熱狂の仕方をしてしまった(させてしまった)ファンに、冷水をぶっかけて正気に戻させようとしたのが『Zガンダム』だ。
現代の人間は、9.11全米同時多発テロ以降の世界に生きており、戦争が残酷で悲惨なものだと、とてもドライに知っている。
また、高度に情報化され、『機動戦士ガンダム』が、第二次世界大戦のパロディ、だと解るのもそれほど難しい話ではない。
だが、それがただの後知恵だった時代、初代『ガンダム』は、今想像するより遥かに危険性が高く、
『Zガンダム』でその熱狂を冷めさせることは、必要なことではなかったのではないだろうか。(これがただの杞憂であればそのほうがいいが。)
そして『Zガンダム』以降のガンダムシリーズは、基本的に初代『ガンダム』を否定し続け、戦争をカッコよく描きすぎないように気をつけていると思う。(『0083』はそれが足りない作品でもある。)
続く