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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 暁美ほむらの物語 その2 ほむらが事実を知るまで 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらが最初に出会ったのが、インキュベーターの能力で人格が変わった、ほとんど別の人物だ、と指摘したのが前回。

 

 詳しく見ていこう、

 第10話をそのつもりで見ればわかると思うが。

 最初のカットの表情から違っている、

 

 ほむらを保健室に連れて行こうとして、話しかけているが、堂々と話しかけるまどかを、さやかと仁美がただ黙って意外そうに見ている。

 

 ほむらと会話をしながら、保健室にエスコートするまどかは、本当に素敵にエスコートしている。

 第一話でおどおどしながらほむらの後をついていき、それにほむらは苛ついている。それも、このまどかと比較しているからだろう。

 

 颯爽とほむらを助け、「クラスのみんなには、内緒だよ。」と、強気に弓を放つ。

 

 「ほむらを助けられたことが自慢だ」と言い、単身、勇敢にワルプルギスの夜に立ち向かい、破れ倒れた。

 

 どう見ても、本筋のまどかが魔法少女の能力を手に入れただけの存在には見えない。

 

 本筋のまどかとは、人格が別物だ。

 

 そのまどかの死に立ち会い、

 「私は、鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい。」

 

 という祈りで契約し、魔法少女になったのが、魔法少女暁美ほむらである。

 この時点では、鹿目まどか本来の人格をまったく知らないままに。

 

 そして、時間がまどかと出会う前に戻り、クラスの中で、

 「私も、魔法少女になったんだよ。」

 と、さぞかし周りは凍りついたことだろう。

 

 このことからもわかるが、暁美ほむらは、元からして思い込みの強い、視野の狭い子供であり。コンクリートの上にハンカチを敷いて座るような、お嬢様育ちで何も知らない子なのだろう。

 そして、まどかのソウスジェムがグリーフシードを生み出したのを目撃し、時間はまた巻き戻った。

 

 ここで、まどか達が通っている中学校について考察しておこう、

 

 あの中学校は、裕福な家庭の子女達が通う、中高一貫の名門校だ。

 

 まず、数学の問題が中学二年生にして、大学入試レベルだ。極端すぎてかえって解りづらいが、中高一貫校だとおもわれる。

 

 登場人物をひとりずつ見ていくと、

 

マミ・・・理由は明らかではないが、中学生にして高級そうなマンションで一人暮らし。

 

仁美・・・解りやすいお嬢様。

 

恭介・・・バイオリンはとてもお金のかかる楽器で、家が裕福でないとやるのは無理だ。  

 

まどか・・・母親が企業の重役で、父親は主夫に専念できるくらいだし、家もかなりゴージャスだ。

 

さやか・・・これは分かりづらい、だがよく見ていけば家庭が裕福なことが解る。

    

 自分が小市民だとおどけているが、自分は大した不幸も知らない、恵まれすぎて馬鹿にっなっている、幸せバカ。だとも言っている、

 また、CDをちょくちょく買って、恭介にプレゼントしていたが、これは裕福な家庭同士で交流がなければ無理なことだ。さやかの家が裕福でなければ、恭介の親が止めに入る。

 第四話でさやかの後ろの棚に1,000枚を超えるであろうCDが並んでいる、これは恭介の心象的な表現であると同時に、それを支えるだけの経済力が、さやかの家にはあることの証拠でもある。

 

 さやかが、不正な手段でりんごを入手したことで、杏子を拒んだのは、さやかの育ちが良すぎ、杏子の育ちが悪すぎたせいでもある。

 

 さやかと恭介が、身分違いの恋だという指摘も見たことがあるが、仁美が解りやすいお嬢様だというミスリードに引っかかっているだけだ。

 

 杏子なら、この事に気づけただろう。だが、その境遇故に他人の家庭や学校に興味を持てない人間なので気づいていない。(鹿目家と上条家が裕福なのには気づいていたようだが。)

 

 以上より、本作はお嬢様視点というミスリードで解りにくくされている。という叙述トリックを解きながら見る作品なのである。

 

 話がそれたので本題に戻ろう。

 

 時間が戻ったほむらは、インキュベーターの異常性を知らせようとするが、信じてもらえず。マミがパニックを起こして殺し合いが起こった後は、まどかと二人でワルプルギスの夜と戦い、負けた後ソウルジェムがグリーフシードになりかけているのを、まどかが隠し持っていたグリーフシードで助けられ。

 

 「キュウベエに騙される前の、馬鹿な私を助けてあげて。」

 

と頼まれる、

そして、何度繰り返すことになってもまどかを救ってみせると約束した。

人格が別物のまどかに。 

 

 そして魔女になりそうなまどかに「魔女にはなりたくない」と頼まれ。悲痛な叫びを上げながらまどかにとどめを刺した。

 

 

続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 暁美ほむらの物語 その3 精神的視野狭窄 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 暁美ほむらの物語 その1 ほむらが最初に出会ったまどか  再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁美ほむらの物語を考える上で重要なことは、ほむらが最初に出会った鹿目まどかは、どんな願いを叶えて魔法少女になったかという点である。

 

 劇中では描かれていないことだが、ヒントになるような描写は本筋で描かれている。

 

 第1話から続く本筋では、巴マミに憧れ、マミと同じ魔法少女になりたい」という、ただなりたいというだけで、契約にならない願いを持ったため、ほむらの妨害も併せて比較的長い間、魔法少女にならなかった。

 

 だが第10話を見れば分かる通り。ほむらが転校してきた時点で、すでにインキュベーターと契約し、魔法少女になっていたのが物語の始まりである。

 

 では、このときはどんな願いを叶え魔法少女になったのかを、劇中の描写から考えると。

 第二話より 

 「人助けのために頑張るマミさんは、とても素敵で、こんな私でも誰かの役に立てるとしたらそれはとっても嬉しいな、って思ってしまうのでした。」

 

 第三話より

 「ただ、なりたいってだけじゃだめなのかな。私ってどんくさいし、なんの取り柄もないし、だからマミさんみたいな素敵な人になれたら、それだけで十分に幸せなんだけど。」

 

 この二つの発言を併せて考えると、

 

 巴マミ≒素敵な人≒魔法少女

 

 というつながりで、ただ魔法少女になりたいと言っている。

 

 これを考えると、鹿目まどかが本来持っている願望は、

 

 「自分は鈍臭くなんの取り柄もないというコンプレックスを持っているので、もっと素敵になりたい。」

 

 というものだと思われる。

 

 本筋では、第一話の開始前に、暁美ほむらインキュベーターの妨害に成功し、上記のような経緯を経て、ただ魔法少女になりたい、というそれだけでは契約にならない願いを持つに至った。(ほむらがインキュベーターの正体に気づいたあとは、全部そうしていたと思われる。)

 

 だが、第10話の開始時に、インキュベーターとまどかの接触のことなど知りもせず、魔法少女でもない暁美ほむらに、これを妨害するのは不可能だ。

 

 インキュベーターはまどかに接触し、まどかが本来持っていた、

「素敵になりたい」という、至って平凡な願望で契約し、まどかは魔法少女になったのだとおもわれる。

 

 問題はこの、「素敵になりたい」という願望だ、

 

 インキュベーターの能力でこれを叶えると、本当に人格ががまったくの別物になったかのように変わるだろう。

 

 ほむらが最初に出会ったまどかは、本筋のまどかと人格が別物の、インキュベーターの奇跡で人格が変わっている、ほとんど別人だと言っていいくらいの人間だったとおもわれる。

 

続く

 

コメントでこのような、指摘を頂いたので、確認はしていませんが、追記しておきます。

 雷電

根本的な誤りを指摘し致します。まどか初回(第10話)の契約理由は「自動車にひかれた黒猫のエイミーの蘇生を願った」です。BD1巻の特典CDドラマ「メモリーズ・オブ・ユー」を確認してください。

 

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 暁美ほむらの物語 その2 ほむらが事実を知るまで 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』論 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その4 まどかの母 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まどかの母はどんな人物か、

 まず、まどかに対して愛情がないわけではない。劇場版のオープニングで特に強調されているが、家族に対する愛情はちゃんと持っている人である。

 旦那さんは、第3話でまどかの「なんであんなに仕事が好きなのかな?」という質問に対して、

まどかの父「仕事が好きなんじゃなくて頑張るのが好きなのさ、

      嫌なことも辛いこともいっぱいあるだろうけど、

      それを乗り越えたときの満足感がママにとっての最高の宝物なのさ。

      そりゃ会社務めが夢だったわけじゃないだろうけどさ、

      それでもママは自分の理想の生き方を通している。

      そういうふうにして叶える夢もあるんだよ。」

まどか  「生き方そのものを夢にするの?」

まどかの父「どう思うかは人それぞれだろうけど僕はね、

      ママのそういうところが大好きだ、

      尊敬出るし自慢できる。

      素晴らしい人だってね。」

 

 と答えているのだが、これは明らかな誤解で、間違いだ。

 (それと同時に、父親もまたまどかを円環の理になるように導いているとも言える。)

 

 第二話でまどかが、魔法で願いが叶うならどんな願いをかなえるか。という質問に対して、

まどかの母「役員を二人ばかりよそに飛ばしてもらうわ(中略)」

まどか  「ママが社長になっちゃえば」

まどかの母「その手があったか、(後略)」

まどか  「ママ、目が怖いよ」

 

 とのやり取りがあるが、ここを見ると、どう見ても仕事自体が好きでしょうがない仕事人間だ。

 同時に、まどかの母もまた理解者のいない人間である。

 

 問題は、彼女が仕事人間であることから起きている。

 

 

1.反抗期の概念を持たず、まどかを過大評価し放任していた。

 (2018/12/4追記 これは弟の出産時期とまどかの反抗期がぶつかり、まどかが「お姉ちゃん」になったので、反抗期の概念が頭が回らなくて、過大評価と放任に至ったという別の可能性を思いついた。こちらのほうが自然な解釈かもしれないので、ここに付け足したい。)

2.同じ建物の中にいる旦那さん一切の相談をせずに、まどかを嵐の中に送り出した。(人を頼るのが下手。) 

  

 大きな失敗はこの2つだと思うが、この2つに限らずあらゆる行動が、「仕事人間はこんなもの」、と言っていしまえば説明のつくようなことをしている。

 

 どうしてここまで徹底した仕事人間なのか、なにか理由があるのではないかと考えていた。

 美樹さやかの物語が、上条恭介の伏せられている内心を読み解いていくものだったので、なにか理由があるのではないかと思っていた。

 

 だが、あるとき気がついた。

 

 仕事人間だが、どうしてそうなったか何も理由が描いていない。

 

 ただひたすら仕事人間をリアルに描いただけの人間だ、と。

 

(2020/11/15追記 仕事人間が仕事ができるだけの子供で、中学二年生の女の子を大人だと思っていると考えると劇中に描かれていることだけで理由の説明がつく話でもある。)

 

 『機動戦士Ζガンダム』のオマージュだというのはわかる。だが、その『Z』でさえ、一年戦争で戦っていた人間は、そこで戦争に対する感覚が麻痺しているというそれなりの理由があって、感覚の違いが原因で、子供を狂わせた話である。

 

 仕事人間であることに理由がない、というのもリアルな話かもしれないが、そうだとすれば酷い話だと思う。

 

2018/12/02 追記

  仕事人間で反抗期の概念がない人だと指摘したが、まどかのその時期と、第二児の妊娠、出産時期がかぶっている。その時期を境にして問題が発生したのだろう。

 まどか姉になって、手が離れたと誤解して仕事に専念していたという理由も思いつく。

 

 2018/12/5追記 

 まどかが姉になって反抗期に頭が回らなかったことから、まどかの母は姉ではないと思う。また仕事でもプライベートでも人を頼るのが下手だ。妹でもないだろう。

 そうすると、一人っ子が子供を二人持った結果起こった事故が、まどかが円環の理になったという恐ろしい可能性も思いつく。

 感覚の違いが原因だと指摘したが、これはリアルである分恐ろしい。

 鹿目まどかの物語はいずれ書き直したい。

 

 次回からは「真の主人公」、暁美ほむらの物語を書く。

 

 続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 暁美ほむらの物語 その1 ほむらが最初に出会ったまどか 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その3 円環の理になったということ 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まどかは母親に過大評価され、放任されている、そして子供の狭い視野で書かれているのが、『魔法少女まどか☆マギカ』のメイントリックだというところまでが前回。

 

 そんなまどかも、奇跡や魔法の異常性や、さやかが魔女になったこと、説得に行ったが結局は無駄で、さやかと杏子の死に立ち会ったこと、などいろんなものを見て、成長してはいる。

 

具体的には、

 

 さやかの死について何も知らないと母親に嘘をつくようになった。

 

 避難所から無断で抜け出そうとしてひっぱたかれるようになった。

 

成長してはいる。年齢相応、中学二年生の思春期の少女に。

 

 その成長を、まどかの母も感じ取ってはいる。そして過大評価を進めてしまった。

 

 親が子供を嵐の中に送り出すのに、一人前になったと判断した以外の理由もないだろう。

 

 「理由が言えないなら自分も連れて行け」と決して無責任なわけではないが、

 同じ建物の中にいる旦那さんに一切の相談をせずに、まどかを送り出してしまった。

 

 まどかが魔法少女になるとき、巴マミの部屋でマミと杏子に会い、そこにおいてきた、自分で書いた、魔法少女のデザインを書いたノートを受け取っている。

 

 しばらく前に書いたノートを、死んだ人間から受け取って魔法少女になるというのも、これだって成長を示す表現である。

 だが問題は、ノートの中身だ。

 

 第二話で大きく描かれているのそれを見るのが解りやすいだろう。

 

 中学生が書いた絵ではなく、小学生が書いた絵に見える。

 

 つまり、

 

 「キャラクターデザインが子供っぽい」

 

 という叙述トリックで解りにくくしているが、

 

 このデザインを描いた時点のまどかは、小学生位の感覚の子供で、

 成長したにはしたが、それは小学生が中学生になった成長で、

 中学生がそこから先に成長したのではありませんよ。

 と製作者が丁寧に答え合わせをしているように見える。

 

 まどかが事故で円環の理になったのは、そのくらい計算づくで書いていることだと思う。

 

 そしてまどかは魔法少女になった。まどかが魔法少女になって放つ光は、Zガンダムの異常稼働と同様、人の心を犠牲にした暴走の光でもあるだろう。(色もよく似ている)。

 

 まどかは円環の理になった。子供の視点で書いているので感動的にも見えるが、すべての魔法少女を救える代わりに、死ぬことすらできなくなった。

 

 まどかの母はまどかの記憶すら失って、子供を失ったことを教訓にするどころか、悲しむことも後悔することもできなくなってしまった。

 

 鹿目まどかの物語は、子供が子供の感覚のまま人間を止めに行くのを、実の母親が背中を押して送り出してしまったとんでもない大事故であると同時に。

 子供を失った親が、そのことを自覚し記憶することすらできなかった物語である。

 

 美樹さやかの物語を、残酷な成長と死を描いたものだと言ったが、

 

 鹿目まどかの物語は、親子揃って成長と縁が切れた物語である。

 また、家族のあり方に対する大きな問題提起でもあるだろう。

 

 この問題の軸になっているのは、インキュベーターが原因であるにせよ、まどかの母を無視するわけにも行くまい。

 

 まどかの母がどんな人物か、次回にまとめて書く。

 

 続く

 

『魔法少女まどか☆マギカ』論 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その4 まどかの母 再掲載 *ネタバレ注意 

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その2 鹿目まどかはどんな人間か 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鹿目まどかのメンタリティを考察しよう。

 第2話でさやかが、「まあきっと私達が馬鹿なんだよ、そう幸せバカ、(中略)その程度の不幸しか知らないってことじゃん、恵まれすぎて馬鹿になっちゃってるんだよ、(後略)」

 

 と校舎の屋上で述べているが、まったくこの通りでまどかはあらゆるものに恵まれて育ったと思われる。

(さやかは自分が小市民だなどとおどけているが、まどかたちが通っているあの中学校の生徒は、全員裕福な家庭の子弟である傍証だらけである。ここでは詳しく書かないが。)

 

 劇場版のオープニングで特に強調されているが、経済的にも、家族の愛情にも、友人関係にも恵まれて育ったのが鹿目まどかである。

 

 そして、特にひねくれもせずに心優しいいい子に育ってはいる。

 基本的にまどかは心優しい、いい子である。

 

 だが、問題は母親だ。

 第6話のさやかが魔法少女をやって苦しんでいるのを相談しているところである。

 

「(前略)本当にどうし様もないほどどん詰まりになったら、いっそ思い切って間違えちゃうのも手なんだよ。(後略)」

 

 というような事を言っている場面である。

 

 最大の問題点はこのあと、

 

「(前略)まどか、あんたはいい子に育った、嘘もつかないし悪いこともしない、いつだって正しくあろうとして頑張ってる、子供としてはもう合格だ。だからさ、大人になる前に今度は間違い方もちゃんと勉強しときな(後略)」

 この部分だ、そしてこのあと、「(前略)さっさと大人になちゃいな(後略)」

 とまどかを子供以上大人未満の思春期の少女だと思っている。

 

 一番の問題は「嘘もつかないし悪いこともしない」

 ここだ、

 反抗期の概念がない、反抗期を経てから、子供以上大人未満の思春期の少女になっていくことが完全に頭の中にない。

 自分の娘が反抗期にすらなっていない、ただの子供だとわからず、思春期の悩みを抱えていると勘違いし。子供以上大人未満にまで成長していると過大評価している。

 

 この助言が原因で、まどかはさやかのソウルジェムを捨ててしまったのはご存知のとおりだが、それだけではない。

 ほむらが散々忠告しているとおり、まどかは危なっかしいことばかりやっている。

 

子供としては合格だと言うのはとんでもない過大評価だ。

 

(2018/12/4追記 反抗期の概念が完全にないというのも不自然なことだと気づいた。

そうすると、まどかの反抗期と、弟の妊娠、出産時期がかぶっていることに気づく。

 弟の妊娠、出産で忙しく、弟が生まれた後、まどかは「お姉ちゃん」になっている。

 それが原因で、まどかの反抗期は無自覚的に無視され、まどかも反抗している場合ではなく反抗期ができなかったのではないのだろうか。

 その結果の過大評価と放任とも言えると思う。

 まどかは、反抗期を忘れられた「お姉ちゃん」なのではないかと思ったので、追記しておく。 )

 

(2021/7/6追記 まどかの母親の言っていることを聞くと、まどかは反抗期がなかったことがわかる。それが過大評価につながっているのは、まどかの母は反抗期がない子供もいると知らなかったからだろう。)

 

 まどかが、夜遅く出歩いていること自体も、物語の都合ではないだろう、まどかの両親の間で議論があったと思いたい。だが、「間違い方を勉強する」という教育方針が通ったのだろう。

 

 だが、さやかが殺してしまった二人組の男ですら、「お嬢ちゃん中学生?夜遊びは良くないぞ」と指摘しているとおり、一般常識は放映された当時の日本と変わらないのである。(携帯電話を持っていないが)

 

 まどかが夜遅く出歩くのを黙認していたのは、過大評価が原因の放任だろう。 

 

 こう考えると、鹿目まどかの奇妙なメンタリティも、だんだん解ってくる。

 

 母親に過大評価され放任されているので、根拠のない自信にあふれている、

 と同時にその裏返しとして不安に怯えておどおどしている。

 

 こう考えれば、まどかの危なっかしい行動も、どれだけほむらが忠告してもあっさり人間をやめて魔法少女になってしまいそうになるのも、だいたい説明がつく。

 

 暁美ほむらはまどかのことを、自分を大切にする感覚のない、衛宮士郎のような人間だと思っているがこれは誤解だ、

 暁美ほむら鹿目まどかの理解者ではない。そうであるばかりか、まどかの根底にある問題を何も理解していなかったことになる。

 だからこそ失敗を繰り返し、最終的にまどかは円環の理になった。

 だがこれはほむらの自業自得だ、ほむらは「もう誰も頼らない。」と自分で自分の視野を狭めている人間なのだから。

 

 だが、奇跡や魔法の異常性を、一通り知っているほむらですらこれだ。

 

 子供の狭い視野で物語を叙述して、裏側にある本当の問題をわかりにくくしているのが、本作のメイントリックである。

 

 少し話がそれたが、長くなったので次回に話を戻す。

 

 

 

 続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その3 円環の理になったということ 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その1 再掲載 *ネタバレ注意

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 本編はミスリードだらけでわかりにくいので、結論から書こう、

 

 鹿目まどかの物語は、子供が子供の感覚のまま人間をやめるのを、実の親が背中を押して送り出した、とんでもない大事故だ。

 

 そして、人間をやめてこそいなものの、感覚の違いが原因で、主人公が最後に精神崩壊した。『機動戦士Zガンダム』のオマージュだということであり、第1話のタイトル

「夢の中で逢った、ような・・・」はTV版『Z』の47話「宇宙の渦」の中の「ずっと以前に出会っていたような、おふくろ」というセリフのオマージュである。(『Zガンダム』がどういう作品かは、後でまとめて書く予定である。) 

 

 (追記 『Zガンダム』の考察は、こちら

ガンダムシリーズ考察 目次 リンク 

 からどうぞ)

 

 まず、鹿目まどかがどんな人間かというと、

 

 「理解者のいない、過大評価を受けた子供」である。

(2018/12/5追記 これは「反抗期を忘れられ、できなかったお姉ちゃん」と訂正したい。)

  

 また、鹿目まどかの物語の、もうひとりの軸になる人物は、まどかの母であり、こちらがどういう人物かというと、

 

「なんの理由もなく、ただそこにポンといるだけの仕事人間」であり、劇中の人物は(本人の自覚も含め)誰もそのことを理解していない。

 (2018/12/4追記 これとは違う可能性にも思いついた、これはその2以降で。)

 そして、この母子の感覚の違いが原因で、事故を起こしつつ進んでいった結果、一家揃って成長と縁が切れた話である。

 次回から詳しく見ていこう。

 

続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その2 鹿目まどかはどんな人間か 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 美樹さやかの物語 その5 エピローグ 再掲載 *ネタバレ注意

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 さやかが、まどかに連れられ死んでいったあとのことである。

 

 時間も場所もおかしくなっている表現だが、

 舞台はコンクールから、大勢の聴衆に囲まれたホールへ、

 恭介は、燕尾服に身を包んで『アヴェ・マリア』は演奏を終える。

 

 その時、恭介は劇中で唯一内心の描写を声に出し、さやかとの本当の別れに気づいた。

 その後、場面は変わり、さやが円環の理に導かれ死んでいったところへ、

 ここはどう見ても火葬だろう。

 

 この表現が意味するものは。

  

 最初に指摘したように、恭介の内心はあえて伏せてある事。

 

  恭介にとってさやかは母性的な存在だということ。

 

 いろいろあったが、それでも恭介にとってさやかは特別な存在だということ。

 (さやかに恋をしていただろう。母親を求めていることに気づくまでは。)

 

 そして、さやかは立派に成長した恭介に、実の子供に看取られるように死んでいったということだろう。

 

 少女の瞳に映らなかったのは、恋した少年の自分に対するマザーコンプレックスだった。

 

 これはえげつない。

 

以上より、美樹さやかの物語は、残酷な成長と死を描いたものである。

そうであると同時に、男女の関係に対する、問題提起だろう。

 

次からは、鹿目まどかの物語を考察し書いていく。

 

続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その1 再掲載 *ネタバレ注意

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