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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その2 鹿目まどかはどんな人間か 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鹿目まどかのメンタリティを考察しよう。

 第2話でさやかが、「まあきっと私達が馬鹿なんだよ、そう幸せバカ、(中略)その程度の不幸しか知らないってことじゃん、恵まれすぎて馬鹿になっちゃってるんだよ、(後略)」

 

 と校舎の屋上で述べているが、まったくこの通りでまどかはあらゆるものに恵まれて育ったと思われる。

(さやかは自分が小市民だなどとおどけているが、まどかたちが通っているあの中学校の生徒は、全員裕福な家庭の子弟である傍証だらけである。ここでは詳しく書かないが。)

 

 劇場版のオープニングで特に強調されているが、経済的にも、家族の愛情にも、友人関係にも恵まれて育ったのが鹿目まどかである。

 

 そして、特にひねくれもせずに心優しいいい子に育ってはいる。

 基本的にまどかは心優しい、いい子である。

 

 だが、問題は母親だ。

 第6話のさやかが魔法少女をやって苦しんでいるのを相談しているところである。

 

「(前略)本当にどうし様もないほどどん詰まりになったら、いっそ思い切って間違えちゃうのも手なんだよ。(後略)」

 

 というような事を言っている場面である。

 

 最大の問題点はこのあと、

 

「(前略)まどか、あんたはいい子に育った、嘘もつかないし悪いこともしない、いつだって正しくあろうとして頑張ってる、子供としてはもう合格だ。だからさ、大人になる前に今度は間違い方もちゃんと勉強しときな(後略)」

 この部分だ、そしてこのあと、「(前略)さっさと大人になちゃいな(後略)」

 とまどかを子供以上大人未満の思春期の少女だと思っている。

 

 一番の問題は「嘘もつかないし悪いこともしない」

 ここだ、

 反抗期の概念がない、反抗期を経てから、子供以上大人未満の思春期の少女になっていくことが完全に頭の中にない。

 自分の娘が反抗期にすらなっていない、ただの子供だとわからず、思春期の悩みを抱えていると勘違いし。子供以上大人未満にまで成長していると過大評価している。

 

 この助言が原因で、まどかはさやかのソウルジェムを捨ててしまったのはご存知のとおりだが、それだけではない。

 ほむらが散々忠告しているとおり、まどかは危なっかしいことばかりやっている。

 

子供としては合格だと言うのはとんでもない過大評価だ。

 

(2018/12/4追記 反抗期の概念が完全にないというのも不自然なことだと気づいた。

そうすると、まどかの反抗期と、弟の妊娠、出産時期がかぶっていることに気づく。

 弟の妊娠、出産で忙しく、弟が生まれた後、まどかは「お姉ちゃん」になっている。

 それが原因で、まどかの反抗期は無自覚的に無視され、まどかも反抗している場合ではなく反抗期ができなかったのではないのだろうか。

 その結果の過大評価と放任とも言えると思う。

 まどかは、反抗期を忘れられた「お姉ちゃん」なのではないかと思ったので、追記しておく。 )

 

(2021/7/6追記 まどかの母親の言っていることを聞くと、まどかは反抗期がなかったことがわかる。それが過大評価につながっているのは、まどかの母は反抗期がない子供もいると知らなかったからだろう。)

 

 まどかが、夜遅く出歩いていること自体も、物語の都合ではないだろう、まどかの両親の間で議論があったと思いたい。だが、「間違い方を勉強する」という教育方針が通ったのだろう。

 

 だが、さやかが殺してしまった二人組の男ですら、「お嬢ちゃん中学生?夜遊びは良くないぞ」と指摘しているとおり、一般常識は放映された当時の日本と変わらないのである。(携帯電話を持っていないが)

 

 まどかが夜遅く出歩くのを黙認していたのは、過大評価が原因の放任だろう。 

 

 こう考えると、鹿目まどかの奇妙なメンタリティも、だんだん解ってくる。

 

 母親に過大評価され放任されているので、根拠のない自信にあふれている、

 と同時にその裏返しとして不安に怯えておどおどしている。

 

 こう考えれば、まどかの危なっかしい行動も、どれだけほむらが忠告してもあっさり人間をやめて魔法少女になってしまいそうになるのも、だいたい説明がつく。

 

 暁美ほむらはまどかのことを、自分を大切にする感覚のない、衛宮士郎のような人間だと思っているがこれは誤解だ、

 暁美ほむら鹿目まどかの理解者ではない。そうであるばかりか、まどかの根底にある問題を何も理解していなかったことになる。

 だからこそ失敗を繰り返し、最終的にまどかは円環の理になった。

 だがこれはほむらの自業自得だ、ほむらは「もう誰も頼らない。」と自分で自分の視野を狭めている人間なのだから。

 

 だが、奇跡や魔法の異常性を、一通り知っているほむらですらこれだ。

 

 子供の狭い視野で物語を叙述して、裏側にある本当の問題をわかりにくくしているのが、本作のメイントリックである。

 

 少し話がそれたが、長くなったので次回に話を戻す。

 

 

 

 続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その3 円環の理になったということ 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その1 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本編はミスリードだらけでわかりにくいので、結論から書こう、

 

 鹿目まどかの物語は、子供が子供の感覚のまま人間をやめるのを、実の親が背中を押して送り出した、とんでもない大事故だ。

 

 そして、人間をやめてこそいなものの、感覚の違いが原因で、主人公が最後に精神崩壊した。『機動戦士Zガンダム』のオマージュだということであり、第1話のタイトル

「夢の中で逢った、ような・・・」はTV版『Z』の47話「宇宙の渦」の中の「ずっと以前に出会っていたような、おふくろ」というセリフのオマージュである。(『Zガンダム』がどういう作品かは、後でまとめて書く予定である。) 

 

 (追記 『Zガンダム』の考察は、こちら

ガンダムシリーズ考察 目次 リンク 

 からどうぞ)

 

 まず、鹿目まどかがどんな人間かというと、

 

 「理解者のいない、過大評価を受けた子供」である。

(2018/12/5追記 これは「反抗期を忘れられ、できなかったお姉ちゃん」と訂正したい。)

  

 また、鹿目まどかの物語の、もうひとりの軸になる人物は、まどかの母であり、こちらがどういう人物かというと、

 

「なんの理由もなく、ただそこにポンといるだけの仕事人間」であり、劇中の人物は(本人の自覚も含め)誰もそのことを理解していない。

 (2018/12/4追記 これとは違う可能性にも思いついた、これはその2以降で。)

 そして、この母子の感覚の違いが原因で、事故を起こしつつ進んでいった結果、一家揃って成長と縁が切れた話である。

 次回から詳しく見ていこう。

 

続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その2 鹿目まどかはどんな人間か 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 美樹さやかの物語 その5 エピローグ 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さやかが、まどかに連れられ死んでいったあとのことである。

 

 時間も場所もおかしくなっている表現だが、

 舞台はコンクールから、大勢の聴衆に囲まれたホールへ、

 恭介は、燕尾服に身を包んで『アヴェ・マリア』は演奏を終える。

 

 その時、恭介は劇中で唯一内心の描写を声に出し、さやかとの本当の別れに気づいた。

 その後、場面は変わり、さやが円環の理に導かれ死んでいったところへ、

 ここはどう見ても火葬だろう。

 

 この表現が意味するものは。

  

 最初に指摘したように、恭介の内心はあえて伏せてある事。

 

  恭介にとってさやかは母性的な存在だということ。

 

 いろいろあったが、それでも恭介にとってさやかは特別な存在だということ。

 (さやかに恋をしていただろう。母親を求めていることに気づくまでは。)

 

 そして、さやかは立派に成長した恭介に、実の子供に看取られるように死んでいったということだろう。

 

 少女の瞳に映らなかったのは、恋した少年の自分に対するマザーコンプレックスだった。

 

 これはえげつない。

 

以上より、美樹さやかの物語は、残酷な成長と死を描いたものである。

そうであると同時に、男女の関係に対する、問題提起だろう。

 

次からは、鹿目まどかの物語を考察し書いていく。

 

続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 鹿目まどかの物語 その1 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 美樹さやかの物語 その4 さやかの訃報のあと 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恭介がさやかの訃報を受けてから、最終回、バイオリンのコンクールにで演奏するまでのことは伏せられている。

 だが、物語を読み解くヒントはちゃんと描いてある。

 

 担任の教師とまどかの母の会話より、仁美はショックを受けている。これが一つ。

 コンクールに出る恭介を仁美は舞台袖から見守っている。これがもう一つだ。

 

 この二つより、恭介と仁美は、そのまま関係がうまく行いったと思われる。

 仁美はさやかに先に恭介に告白するように順番を譲って、促してから恭介に告白するような子だ。

 恭介が、さやかの死を気にしない冷酷な人間なら関係が続いたとは思えない。(そういう可能性もあるが、違うと思う。)

 

 以上より、恭介はさやかの死にショックを受けただろう。

 恭介も、仁美も一人だったら立ち直れなかったかもしれない。

 だが二人は一緒だったので、さやかとの謎の多い死別から立ち直って前に進んでいけたのだろう。

 

 その途中を描いたのが、最終回のバイオリンのコンクールに出場した場面である。

 

 課題曲は『アヴェ・マリア』このマリアというのは、勿論イエス・キリストの母のマリアのことであって、

 

 恭介からすれば、さやか相手にマザー・コンプレックス抱いて甘ったれていた事、

情けなくて話しかけることができなかった情けない自分。

 そして、本当に奇跡的に手が動くようになったことと無関係ではないような、さやかとの謎の死による死別。

 

 このすべてと向き合わなければ『アヴェ・マリア』を弾くのは無理だろう。

 

 よく見ればわかると思うが、課題曲名を告げバイオリンを構える恭介、そして舞台袖から、心配しつつも見守る仁美。

 二人共、さやかとの死別から立ち直って、成長して前に進もうとしている強い人間の顔をしている。

 そして、演奏が始まりその誠実な演奏に、審査員がざわついている。

バイオリンは弾けないが、これが誠実な演奏だということは筆者にもわかる。

 

(この演出があるからこそ、恭介が実は不誠実な人間ではない事に確信を持てた。)

 

 そして、さやかも、これを見たからこそ、

 

 「これでいいんだ、私はただもう一度あいつの演奏が聞きたかっただけなんだ、あいつのバイオリンをもっともっと大勢の人に聞いてほしかった。それを思い出せただけで、十分だよ。」

 と納得して、まどかに連れられ死んでいけたのだろう。

 

 第3話の巴マミの、「彼に夢を叶えてほしいの、それとも、彼の夢を叶えた恩人になりたいの、同じようでもぜんぜん違うことよ、これ」

という指摘で考えるなら、前者だとはっきりさせた事になる。

 

 だが、これだけでは終わりではない。

 

続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 美樹さやかの物語 その5 エピローグ 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 探偵のいないミステリーの先 美樹さやかの物語 その3 恭介の退院とその後の行動原理 再掲載 *ネタバレ注意

 京介がさやか相手にマザー・コンプレックスを抱いていたことに気づいてしまったまでが前回。

 

 恭介が冷酷な人間だと思われているのは、退院することをさやかに告げず。

 復学したあと話しかけもしなかったからだろう。

 

 だが、叙述トリックに伏せられた部分を見ていけば、それがどうしてなのかは想像に難くない。

 

 さやか相手に母親を求めて甘ったれていたことが情けなく、合わせる顔がなかったのではないかと思われる。

 

 仁美に告白され、そのまま談笑してる場面も、さやかの視点で書いているので一見冷酷に見える。

 

 だが、男というのは母親と仲が悪い時は、代償行為として女の子といちゃついていたいものだし、そういうふうにして成長していくものだ。

 

 仁美と仲良くしているシーンが意味するのは、恭介が冷酷な人間だということではなく、

むしろさやかに合わせる顔がなく、寂しいことと、さやかのことを深く気にしていることである。

 

 それを見てさやかは暴走していくが、それは運命のいたずらと自爆だろう。(最悪の自爆は魔法少女になる前にしたと思うが)

 

 そして電車の中の男二人を八つ当たりで殺してしまうが、その際にさやかが言っていたことは、「自分の息子が女の子といちゃついていると、母親はああいうふうに感じますよ。」ということなのかもしれない。(筆者は男なので詳しくない。)

 

 そして、さやかは魔女となり恭介との関係はすれ違ったまま死に別れたかに見えた。

 

 だが、さやかの遺体は発見され恭介のもとに訃報が届くことになった。

 

 ここからは、劇中であえて何も描いていないところを、今までより多く想像しなければ考察を進められない。

 

 恭介の主観でこれまでのことをまとめよう。

 

 事故で左手が麻痺し気が気でない。

 さやかが聞きたくもないCDを買ってくる。

 リハビリを頑張っていたが、医師に手は動くようにならないと宣告される。

 自暴自棄になってさやかに八つ当たりしたと思ったら、さやか相手にマザー・コンプレックスを抱いていたことに、当の本人に気付かされる。

 本当に奇跡が起きて手が動くようになる。

 病院の屋上でバイオリンを演奏。これがさやかとの今生の別れとなる。

 さやか相手に合わせる顔がなく、連絡もできずに退院し復学する。

 仁美に告白され仲良くなる。

 

 さやかのことが気になってはいたが、バイオリンを弾けるようになり、仁美とも仲良くなっている。さやかとは同じクラスなのでいずれは話すことになるだろうし、そのときは自傷行為に及んだ時の事を謝って、気持ちに蹴りをつけようとしていただろう。浮かれていてもいただろう。

 

 そんな時にさやかの訃報である。

 

 今生の別れは病院の屋上で終わっていて、どうしようもなく情けない理由でさやかに話しかけることもできなかった。

 

 愕然とするしかなかっただろう。

 

続く

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 美樹さやかの物語 その4 さやかの訃報のあと 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 探偵のいないミステリーの先 美樹さやかの物語 その2 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回の続きより、美樹さやかの物語を、上条恭介を真の主人公にした叙述トリックのクイズとして考察を進める。

 

 第1・2話に恭介は出てこないので、第3話から見ていこう。

「いつも本当にありがとう、さやかはレアなCDをみつける天才だね」

 と強がっているが、CDを聞きながら涙を流している。

 自分で弾けもしない曲を聞きたくないというのは本当だろう。

 

 そして第4話「奇跡も魔法もあるんだよ」

 

 最悪の事故がここで起こった。

 

 恭介はリハビリを頑張っていたが、医師から治療が無理なことを宣告される。

 

 そこに見舞いに来たさやかに、自分で弾けもしない曲を聞きたくないといい、自傷行為に及び、奇跡や魔法でもない限り手は動かないと言ってしまった。

 

 そしてさやかは、「あるよ、奇跡も魔法もあるんだよ」と事実を言いつつ覚悟を決めてしまった。

 

 さやかは事実を言っているだけである。

だが恭介は奇跡や魔法をのことを一切知らない。

 

 その状況で「奇跡も魔法もあるんだよ」と言われたらどう思うか考えてほしい。

 

 ヒントはさやかが母親ポジションの人だということである。

 

 これはヒントを額面通りに受け止めれば簡単にわかる。

 

 筆者には、自暴自棄になった子供を母親がなだめ諭す言葉に聞こえる。

 

 恭介もそうだと、気づいてしまったのだろう。

 病院の屋上、実母の前で『アヴェ・マリア』を弾いたあとに。

 そして、図星を突かれたと思ったのだろう。

 

 おそらくは次から次へと要らないものばかり買ってくる実母と(これはステロタイプな母親のイメージだと思われる)、

 聞きたくもない音楽CDを買ってくるさやかの姿を重ね合わせて、

 さやか相手に母親を求めて、甘ったれて、手が動かないことを八つ当たりし、

 自傷行為に及んだ挙げ句その場で、「奇跡も魔法もあるんだよ」となだめられて、同い年の幼馴染に母親を求めてそれをやっていたといたと。

 当の本人の言葉に気付かされたのだろう。

 

 さて、男が女に母親を求めていることなど、いつかは受け入れて成長し、前へ進んでいく様なことだろう。

 

 だが、それができないからこそ中学生の子供は子供なのであって、母親を求めていると気づいてしまった相手を、思春期の少年が恋愛対象と考えるのは無理だ。(少なくとも筆者は想像できない)

 

こう考えると、さやかは事実を言っただけだが、恭介相手の恋愛の縁を自ら切ってしまったことになる。

 さやかの最大の自爆は、魔法少女になる前に起こっていたとおもわれる。

 

 最初に美樹さやかの物語は、『新世紀エヴァンゲリオン』のオマージュだと指摘したが、エヴァンゲリオンでは、大学時代の葛城ミサト加持リョウジと付き合えなくなったのは、ミサトが加持に父親を求めていることに気づいてしまったからだった。

 

 さやかと恭介のことは、これの性別をひっくり返してそのままやったオマージュである。

 

 つづく

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 探偵のいないミステリーの先 美樹さやかの物語 その3 恭介の退院とその後の行動原理 再掲載 *ネタバレ注意

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『魔法少女まどか☆マギカ』考察 探偵のいないミステリーの先 美樹さやかの物語 その1 再掲載 *ネタバレ注意

*ネタバレ注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美樹さやかのことを語る上でまず指摘したいのは、上条恭介のモチーフが、

 

 中学2年生で、14歳で、弦楽器奏者で、左手がしびれると劇中で思い切りいっている『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公、セカンドチルドレン、碇シンジにほかならないということである。

 

 そうなると、さやかのモチーフは、どう考えても綾波レイである。(少なくともキャラクターデザイン上は)

 

 そして『エヴァンゲリオン』がマザー・コンプレックスの物語であったように美樹さやかの物語は、上条恭介を真の主人公にしたマザー・コンプレックスの物語であるということである。

 

 最終回から見ていこう、

 

 さやかは、まどかのとなりで恭介の弾く『アヴェ・マリア』を聞きながら亡くなっていった。そして、

 

1.ミュージシャンである恭介の内心の描写が、声になって表れたのはさやかの死に気づいたときのみである。他の場面では恭介の内心の描写は一切書かれていない。

 

2.『アヴェ・マリア』のマリアというのは、勿論イエス・キリスト母親のことであって、「恭介の弾く『アヴェ・マリア』聞きながら死んでいったさやかは母親ポジションの人ですよ。」と製作者はとてもわかり易いヒントを出している。

 

 1.と2.をあわせて考えると、

 

  美樹さやかの物語は、

 

 「さやかは母親ポジションの人だ」というヒント一緒に、

恭介がどういう人間で、何を考え、何をしていたのかはあえて伏せいる、

叙述トリックのクイズになっているので、振り返ってみてもらいたいという製作者からの出題だと思われる。

 

 これを読み解きながら、考察を進めていく。

 

 続く

 

『魔法少女まどか☆マギカ』考察 探偵のいないミステリーの先 美樹さやかの物語 その2 再掲載 *ネタバレ注意

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