『魔法少女まどか☆マギカ』考察 ~探偵のいないミステリーの先~ 序文 再掲載 *ネタバレ注意
*ネタバレ注意
ずいぶん衝撃的なことで話題になった作品で、放送されてからずいぶん時間がたった作品である。
だが、この作品(以下本作)が本当はどんな作品か、筆者が思っていることと同様の解釈と評価がなされているのをまだ見たことがないので、ここで公開しようと思う。
まず述べたいのは、本作は『ガンダム』と『エヴァンゲリオン』のオマージュをメイントリックにして隠された部分こそ本当に衝撃的な、裏側が解ってこそ本当に面白い。そして、本当にえげつなく、重い作品だということである。
すべてを一気に書くより、中学2年生の3人の魔法少女。
鹿目まどか、美樹さやか、暁美ほむら、3人主人公の物語をそれぞれ分けて書いたほうがわかりやすいだろう。
まずは1人目、美樹さやかの物語からである。
続く
ガンダムシリーズ考察 目次 リンク
『機動戦士Zガンダム』考察 ガンダムシリーズの歴史 その1 『Z』のメイントリック *ネタバレ注意
『機動戦士Zガンダム』考察 ガンダムシリーズの歴史 その2 戦い方 *ネタバレ注意
『機動戦士Zガンダム』考察 ガンダムシリーズの歴史 その3 カミーユ・ビダン *ネタバレ注意
『機動戦士Zガンダム』考察 ガンダムシリーズの歴史 その4 戦争と人間性 *ネタバレ注意
『機動戦士Zガンダム』考察 ガンダムシリーズの歴史 その5 『機動戦士ガンダム』ネタバレ注意
『機動戦士ガンダムAGE』 世代を超えた人間性の追求 *ネタバレ注意 -
『ガンダム Gのレコンギスタ』考察 その1 ベルリ・ゼラムとカミーユ・ビダン *ネタバレ注意
『ガンダム Gのレコンギスタ』考察 その2 モビルスーツの左腕 *ネタバレ注意
『Gのレコンギスタ』考察と予想 その4 もう一つの『Zガンダム』にして真の『ガンダム』 *ネタバレ注意
『Gのレコンギスタ』考察と予想 その5 まとめとメインテーマ *ネタバレ注意
『ガンダム Gのレコンギスタ』考察 その6 一般論的な宿題 *ネタバレ注意 - FRWブログ
『Gのレコンギスタ』考察と予想 その4 もう一つの『Zガンダム』にして真の『∀ガンダム』 *ネタバレ注意 2018/11/26
*ネタバレ注意
その3までのように考えていたのだが、そう考えるのが間違いだと気づいた。いや、間違いではなく『Gのレコンギスタ』はもう一つの『Zガンダム』なのだが、もっと重要なことにやっと気づいた。
ある時、肩の力を抜いて話を見て、24話を見た。
主人公機が角錐を長距離ビーム砲で狙撃している。
どう見ても『エヴァンゲリオン』のパロディだ。
それだけではない。
やたらと多い、思わせぶりだが実態のない専門用語の羅列。
近親相姦的な恋愛感情。
電池で動くモビルスーツ。
主人公の声に反応する主人公機。その後のユニゾンキックもどき。
パーフェクトパックの光円と六枚羽。
実際に見に行ってみると、まったく大したことのないSF設定。
クンパ大佐の長台詞で分かる通り、隠す気のないストーリーの破綻。
(訂正:これは22話Bパートで、クンパ大佐とジュガン司令がマスクの行動を説明するシーンの記憶違いだった。なくても成立する蛇足をわざと入れていると思う。)
完全にストーリーを放り投げた最終回。
うん、全般的に『エヴァンゲリオン』のオマージュだ。
だが、『ガンダム』だと思い込んで真面目に考え込んでいたら、ついさっきまで本気でわからなかった。
24話でこんなににも解りやすいネタばらしをやっていたのに、今日やっと気づいた。
24話だけを見せられれば、初見でわかるような種明かしも、
これが『ガンダム』だと思って見ていると、気が付かないものだ。
先入観と思い込みというのは本当に怖いものだ。
設定を真面目に考え込んで、ここまで釣られたのはそれこそ『エヴァンゲリオン』以来だ。
(『エヴァンゲリオン』のパロディなのだから、解りにく過ぎることは、解りにくいのではなく、そもそも答えが用意されていないブラフなのだとと思う。)
『ガンダム』のファンが『ガンダム』を見たというだけで、ここまで視野が狭くなるとは思っても見なかった。
『初代ガンダム』に危険な熱狂をしたファンがいたのではないか、と指摘したが、自分でもこうなのだから人のことは言えないものだ。
『Gのレコンギスタ』は、人間の視野の狭さ、先入観と思い込みの危険性を、
富野自ら『ガンダム』の新作を作るという、叙述トリックで隠し、鋭く指摘する作品だ。
それだけに、叙述トリックに隠されたところにたどり着き、『エヴァンゲリオン』のオマージュだとわかったときに受ける衝撃とカタルシスがすごい。
同時に、富野由悠季が『エヴァンゲリオン』のファンだという意外な告白でもあるだろう。
未来に至るまで『ガンダム』と比較されるであろう作品があるとすれば、
それは『エヴァンゲリオン』だろう。同様に社会現象になり、熱狂的なファンがたくさんいる作品だ。
そのオマージュを『ガンダム』だという叙述トリックに隠し、わかりにくくしたことが意味するのは何か。
未来の人間に対しても『ガンダム』に責任を持ち、アニメに熱狂することを始めとした、人間の視野の狭さ、先入観と思い込みの恐ろしさを指摘しているということではないだろうか。
これこそが、『Gのレコンギスタ』のメインテーマだと思う。
以上より『Gのレコンギスタ』はもう一つの『Zガンダム』にして、
『∀ガンダム』でやりたかったことを、よりいっそう洗練させて制作されたものである。
それと同時に、未来人が視聴することまで考えた、
ガンダムシリーズの集大成だとも思う。
これだけでは芸がないので、劇場版の予想もしておこう。
エンディングを見ると、登場人物が肩を組んで踊っている。
フェアウェルソング風である。
TV版『Gのレコンギスタ』は、劇中劇なのではないだろうか、
そして、制作が決定した劇場版が本編、もしくは史実なのではないだろうか。
TV版と同様に、意外な作品であってもそうでなくても構わない。
劇場版に期待する。
5部作は『エヴァンゲリオン』を意識したジョークかもしれないが。
続く
『Gのレコンギスタ』考察と予想 その5 まとめとメインテーマ *ネタバレ注意 - FRWブログ
fast-run-winding.hatenablog.com
『ガンダム Gのレコンギスタ』考察 その3 *ネタバレ注意
*ネタバレ注意
さて、こちら
『機動戦士Zガンダム』考察 ガンダムシリーズの歴史 その1 『Z』のメイントリック *ネタバレ注意 2018/11/26 上げ直し
で書いた通り、
『Zガンダム』は、一年戦争で戦っていた世代が、そうでない世代を戦わせて使い潰した話だ。若い人間を犠牲にした話である。
一方『Gのレコンギスタ』は、戦争に狂ってしまった人間を片っ端から死なせている。
別に予知したわけではないと思うが、富野は『Zガンダム』の時に若い世代が犠牲になる世界を描いていた。
21世紀現在、『Z』と似た社会になったのを、
ひっくり返した『Zガンダム』であり、
対照的な『Gのレコンギスタ』を通じて指摘しているのではないだろうか。
同時に『Gのレコンギスタ』は戦争に狂ってしまった人間を、比較的わかりやすく描いた、 これが解りにくいように作られた、『Zガンダム』とガンダムシリーズを読み解く答え合わせなのではないかと思う。
実際に『Zガンダム』のメイントリックに気づいたのは、『Gのレコンギスタ』を見た後だ。
こう考えると、
ストーリーの破綻を、クンパ大佐の長台詞でものすごくわかりやすく描いている。
(取り繕う気が全くない。)
SF設定が見に行ってしまえば本当にどうしようもない。
クンタラの実態が結局何かわからなかった。
これらが意味するのはなんだろうか。
続く
『ガンダム Gのレコンギスタ』考察 その2 モビルスーツの左腕 *ネタバレ注意
*ネタバレ注意
今回は、ベルリ・ゼナムとカミーユ・ビダン、二人の登場したモビルスーツについて書きたい。
まず、ガンダムMkⅡだ。
肝心なときに左腕がなくなっていて、固定式のシールドを使って人を守ることができずに、カミーユの母親とエマ・シーンを死なせている。
また、Gディフェンサーとは名ばかりで、シールドを外さないと合体できない強化武装を持つ。スーパーガンダムになってロングライフルを構えるMkⅡはわざと怖く描いてあると思う。
ゼータに至っては、戦闘機形態の先端部分についたシールドでシロッコの胴体を真っ二つにし、シールドが折れ戦闘機形態のまま、人の形に戻らずにカミーユが精神崩壊し終わっている。
(ここが変わっているのが新訳『Z』。)
一方、G-セルフは、
シールドを持たないグリモアの、両手を使ったパンチの連打を、左腕のシールドを使って防ぎ、アイーダを守った。
シールドを外さなくても、バックパックで強化が可能。
指摘したいのは「左腕の意味」だ。
筆者なりに見解を書くと左腕は、
「心臓を守る腕」
だと思う。
そして、「左腕のついていないモビルスーツ」が意味するのは、
純粋な兵器、ただの人殺しの道具、といったところだと思う。
実際に、TV版『Zガンダム』の劇中で、モビルスーツはそのように描かれていると思う。
一方でG-セルフは、人の命を守るために造られた機体だと後に明らかにされる。
ベルリが、カミーユを意識して対照的に描いたキャラクターだとすると、
G-セルフは、MkⅡとゼータを意識して対照的に描いたモビルスーツだと思われる。
続く
『ガンダム Gのレコンギスタ』考察 その1 ベルリ・ゼナムとカミーユ・ビダン *ネタバレ注意
*ネタバレ注意
さて、今回から『ガンダム Gのレコンギスタ』について考察したい。
富野作品として久しぶりに作らた『ガンダム』といので、楽しみにして視聴した作品だ。
正直なところ、何を言いたいのかはなんとなくわかるような気がするが、まとまりのない散漫な作品だと思いつつ、2回以上は視聴しただろう。
本作と対を成す作品は『機動戦士Zガンダム』だろう。
まずは主人公、ベルリ・ゼナムとカミーユ・ビダンを比較すると。
カミーユはの両親は技術士官で、父親は愛人を作り、母親はその事を知りつつも仕事に満足し夫婦仲は冷え切っていたが、二人を失ったあとは両親の愛情に飢えていたことを明らかにしている。
また、クワトロとアムロ、二人の大尉と行動を共にして世界を見て回った人間である。
エゥーゴに参加する際には中尉待遇で参加している。
妹を名乗るロザミアと接触したあと死に別れている。
一方、ベルリは義理の母親ではあるが、親バカな母親に恵まれ天真爛漫に育っている。
そして、カーヒルとデレンセン、二人の大尉をうっかり死なせてしまって、世界を見て回った人間である。
アメリア軍には、中尉にしてくれないからと言う理由で志願していない。
実の姉に一目惚れし、後に生きたまま別れている。
これだけではないだろうが、対照的な要素を持っている二人である。
共通する要素もあり、
二人とも才能に恵まれ、カミーユはホモアビスやジュニアモビルスーツの大会で成績を残し、
ベルリはキャピタル・ガードの候補生で、二階級飛び級している。
搭乗する機体も、両親が遺したガンダムタイプのモビルスーツだ。
こうして比較すると、明らかにベルリ・ゼナムはカミーユ・ビダンをひっくり返しにしたキャラクターだと思われる。
次回は、マークⅡとGセルフ二人が乗ったモビルスーツについて考察を進める。
続く
『ガンダム Gのレコンギスタ』考察 その2 モビルスーツの左腕 *ネタバレ注意
fast-run-winding.hatenablog.com
『閃光のハサウェイ』映画化について思う事 *ネタバレ注意
*ネタバレ注意
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の映画化が決まったので、それについて思うことを書きたい。
原作は、小説版『ベルトーチカ・チルドレン』の続編で、映画化される、
『閃光のハサウェイ』の設定が、そのままなのか、それとも、『ガンダムUC』の後の正史扱いになるのかはまだ発表されていない。
それがどうなるかはまだわからないが、
ここではTV版『Z』、と劇場版、新約『Z』との関連性を論じたい。
ここではブライト・ノアが、メイルシュトローム作戦を、シンタとクムに説明する場面の表現の改定を取り上げたい。
TV版 47話「宇宙(そら)の渦」では、メイルシュトローム作戦の概要を淡々と説明した後、「ここは託児所か」、ぼやいている一方、
新約『Z』では、ずいぶんマイルドに説明した後、「勝ったらパーティーだ」と元気づけており、
家庭的な大人を、ちゃんとやってる表現に変わっている。
TV版での表現は、カミーユが狂ったようで、実は本当におかしかったのは、ブライトやシャアだったことを表す表現だったのだが、
新約では、ブライトは家庭的な大人に「成長」している。
TV番『Z』から、原作の『閃光のハサウェイ』につながっているのはわかる。
だが、新約『Z』から原作のままの『閃光のハサウェイ』につながっているとは思いたくない。
少なくとも新約『Z』からつながった、原作のままの『閃光のハサウェイ』を作って欲しいとは思わない。
『閃光のハサウェイ』をこの時代に作り直すとしたら、
新約『Zガンダム』からつながっているであろう、
ガンダムシリーズとともに成長した、ブライト・ノアの息子を描いた、
を期待する。
続く